平和学習
生徒感想文

  戦争のこわさ  1年  小金丸 正輝

 八月九日は、長崎原爆の日です。今日、学校で、西さん、宮本さんをまじえて戦争体験談をしました。まず、西さんから戦争で起こったことを話してもらって、とても苦しい生活をいたんじゃないかと思います。だって、いもを作ったり、食塩なども作って大変だったことでしょう。西さんは、どこの国にも行って、兵隊さんらしく(監視)や(守備)をしたりして、島などを守っているのでどきょうがあるなあと感じました。
 次に、宮本さんの思い出のはなしを、聞かされて、少し涙が目にたまってきたような気がしました。さて、この六島には、毎日二十から三十隻もの船が六島の周りの監視をしていたことがわかりました。それと、六島分校が昭和十八年四月に落成しました。小学生四十六名でたまみ先生一人で教えていたなんて、すごいなあと思いました。
 ある、昭和二十年七月七日B29が八機が南のほうからやって来ました。六島郷民は山や近くのかべにかくれていました。でも、たまみ先生だけが学校に残って守ろうとしていたところが、「うわー」ときました。
 たまみ先生は、学校を被害にあわせないと思って必死でがんばっている姿がしてきました。
 たまみ先生が守っていた校舎もぼろぼろにされそうとうショックを受けていることでしょう。まだ、戦いは、終わらずに子供たちは山の中で勉強をするなんて少しこわいこともあると思いました。さてさて、十一時二分にもくとうをして、原爆にあった方々のごめいふくをいのりいたします。
 戦争のつらさは、亡くなった方にも分かっているはずです。自分たちが原爆にあったことを想像し、戦争のこわさを味わいこの世から戦争をなくしていきましょう。
「戦争はダメ」
「戦争はイヤ」
 今日は、本当に、宮本さん、西さん貴重な時間をありがとうございました。


 戦争体験談を聞いて  二年  小金丸 香

 今日8月9日、平治さんと、克巳さんから戦争について体験談を話してもらいました。 克巳さんは実際、満州の方にいって警備やかんしにいったそうです。毎日、ずっと交たいづつかんしをしていました。それから、食事は、いもと、食塩、魚など、同じものを食べていました。私がもし、ずっと同じ食事だともうあきて、食べたくないというと思います。でもそのころは、同じものでも、食べないと死ぬというときです。わがままをいえないなと思いました。魚は、克巳さんもやってて、結構とれてたということなんで、よかったなと思いました。このころは、栄養失調になって死んだりしたのでかわいそうだと思いました。きちんと、好ききらいなく食べなけりゃいけないなと感じました。
 そして、克巳さんからは、飛行機の模型を見せてもらいました。その飛行機で、ばくだんなどをおとして人々を苦しめたなんて考えられませんでした。その飛行機からB−29に変わり、3から6機でばくだんをおとされました。人々はその音で何回も山の中にかくれたりしていました。そのたび、こわい思いをしたんだなと思いました。子供は、何でこんなことしなきゃいけないんだろうとふしぎに思ったんじゃないかと考えました。
 隊長から克巳さんたちに『死ぬかくごでやれ』と命令されました。みんな命令どおりに死ぬきでやったのですごいなと思いました。終戦後、負けた日本人の人々は、アメリカ軍のいいなりになったそうです。それがいやで自殺なんかしたんだろうなと考えました。アメリカ軍に武器もとられたといっていました。アメリカ軍も武器をなくしたらいいのになと思いました。
 それから、平治さんからは、六島のことを話してくれました。五島列島でゆいいつばくげきされたのが六島だったそうです。それは、昭和17年3月8日に日本海軍かんし所ができたからです。それを聞きつけた、アメリカ軍は、B−29で南から8機きました。人々は助かったけど、かんし所や学校などは、全めつだったそうです。そのとき、学校にいた、玉水先生は、音をきいて、近くの田んぼの中にねそべっていたそうです。この時代は、ゆだんきんもつだと思いました。平治さんは「1,2分たってかくれたてたら、死んでいただろう」といっていました。戦争というのは、つらかったんだと思いました。六島の人々は47名、兵隊になって11か12名の人がなくなったそうです。それもまだ若い20代から30代の人です。今の時代のように考えたら、まだまだ、遊びたいのに、そこで人生が終わるなんてかわいそうだなと思いました。
 平治さんも、克巳さんも、しんけんに分かりやすく、私たちに話してくれたのでうれしかったです。戦争というのは、とてもざんこくで、つらい、こわいものだと思いました。これから、戦争という言葉がでない時代になってほしいです。今の生活がどれだけ、幸せなのかわかりました。平治さん、克巳さん、ありがとうございました!


 戦争について 二年  宮本 明日香

 8月9日、今日は長崎に原爆が五十四年目の年です。
 今日は、戦争体験談ということで西克巳さんとじいちゃんが話をしにきてくださいました。
 西克巳さんは、戦争で満州の方までいったときき、すごいなあと思いました。西さんの話では、戦争のきつさを実感しました。毎日いもをたべて、あきただろうと思いました。しかも、いもを食べつづけても栄養失調になり、私たちはぜいたく者だと思いました。おいしいカレーが1日続いて、あきるのにそれを、長い日々たべる人はすごいと思います。 西さんは漁労班長で百二十人ぐらいの人の分の、魚をとっているときいてびっくりしました。漁師であってよかったと思います。自給自足はきついと思った。それを、こなしてる父と母、祖父と祖母はすごいです。
 じいちゃんは六島の様子を、語ってくれました。じいちゃんの話では、五島列島で一番空襲をうけたそうです。この話は、私も不思議に思いました。でも監視所があると、アメリカ軍も、近くまでくると思います。それを一機落して、うれしかったと思います。私もその時の様子を見てみたいと思いました。でも、そのことがなかったら新しい学校は、くずれずにすんだのにとも思えました。その後、山の中で勉強をして、こわくなかったのかなと思いました。B−29が8機もきて、びっくりしたと思いました。郷のみなさんも、穴をほったり、探したり苦労したと思います。でも、全員無事でとても、よかったです。 『平和』という言葉を大事にして、いきたいです。
 西克巳さん、じいちゃん、ありがとうございました。


 戦争について  3年  小金丸 光輝

 今日は八月九日長崎に原爆が落とされて五十四年目になります。平和集会では、平治さんと克巳さんが戦争についていろいろなことを話してくれました。話しの中で六島にもB29八機が南のきゃばの方から新しい学校にしゅう撃をしてこなごなにしていったが学校にいた、たまみ先生や郷のみなさんは全員助かったということなのでよかったなあと思いました。克巳さんの話しの中では、食料が何もなくなったときに自分たちで塩やいもをつくったり、たて網を沖の方にやって魚をとったりして空腹をなくしていったのですごいと思いました。最後に、話しを聞いて戦争とはどんなに恐ろしくてむざんなものか、平和にするためにはみんなが仲良くすることが大切だということが分かったので忘れないようにしたいと思います。もう二度と戦争という言葉を出さず、繰り返さないようにしたいです。日本以外の国ではまだ戦争が起こっているので核兵器をつくらず、武器をもたないようにしていくことが平和にするためには必要ではないかと思います。
 何か起こったときに、一カ国の責任だと決めつけるのではなく、全世界で解決していったら戦争は二度と起こらないんじゃないかなあと思います。平和をみんな一人一人がつくっていき、この世から恐しい戦争をなくしていきたいと思います。
 今日はとても暑い中話しを聞かせてくださってありがとうございました。いい勉強になりました。