横浜市立大学探検部との交流 8月28日〜30日

横浜市立大学探検部 1998夏合宿 in 六島 報告書から

<個人の感想>

 今回の合宿は反省しなければならない点が多かったことは間違いない。表面上は「民族調査」を第一に掲げていたが、島の高齢者とはあいさつ以外まともな会話をする機会もなかった。みな親切に迎えてくれはしたが、保守的でよそからほとんど人が来ることがない場所であったため、3日間という短い期間では交流の場を持つことはできなかった。なぜ、この島に住み続けるのか、島を離れない理由は何か、いろいろ聞いてみたいことがたくさんあった。そしてあとから調べた切支丹・元寇どちらも六島とは関係ないとのこと。最初に行く場所を決めてしまい、それから目的を考えたことがこういう結果を招いてしまったのではないか。
 そのため活動内容が分校の生徒との交流に限られてしまい、探検部としての活動ができなかったことに悔いが残る。島の自然はすばらしかったのだが、それを活動に結びつけられなかった。
 また今回は自然だけを相手にするのではなく、交流を求めて行ったので事前の六島との連絡・交渉などすべて一人で行い、みんなで一つのことをやり遂げるという大切なことを忘れてしまった。そのため途中で何かイベントを企画しているような気がしてきた。みんなも次になにをすればいいのかわからないという状況だったのではないか。
 ただ分校の生徒さんたちと遊んでいるときは純粋に楽しかった。みんな兄弟のように仲が良く、同年代の数が少なくて店もない島の暮らしは不自由なのではないかと思ったが、一緒にバレーをしたり、ギターを伴奏に歌っている姿はとてもほのぼのと楽しそうだった。そんな心配はよけいなお世話である。彼らは彼らで毎日を楽しんでいるのだろう。逆に暇を持て余し、大量の情報に左右されなにをすればいいのかわからない状態にある自分の方が不幸だと思う。とにかくいろいろ考えさせられる日々であった。
 今回の合宿は今までの自然を相手に挑むものとは違い、欲求不満に終わったかもしれないが、こういった活動もただ軟弱化ととらえず、一つの方向性ととらえ、これから活動の場を広げていってほしいと思う。(部長 高井さん)

 六島合宿は屋久島合宿の後で面倒だし、いまいち合宿の目的がよくわからなくてこれが探検部の夏合宿でいいのだろうかなどと思ったりして、全然と言っていいほど乗り気ではなかった。そのため事前の調査などなにもしなかったし、係の仕事は六島合宿だけの人たちに任せてしまった。結局ただ行っただけになってしまって主体性がなかったことは反省した。
 六島はものすごい僻地にある本当に小さな島だった。お店もないし自販機も公衆電話もなにもなかったけれどきれいな自然が残っていて感動的だった。島にいる快打お金など1円も使わなくて、モノに追われない生活はいいものだと思った。そんな小さな島にすみ人たちはゆったりと暮らしている感じがした。子どもたちはのびのびと成長しすぎるぐらい成長していたし、何より朝5時に起きるという規則正しい生活をして朝っぱらから元気いっぱいな姿に驚かされた。交流があったのは学校の先生と生徒ぐらいだったけれど、本当によくしてもらった。その中で島の生活の良さもつらさも、どちらも知ることができたと思う。
 今回の合宿はこれまでの合宿とは趣が違っていたしはっきり言ってだらけてしまったりもした。でもあんな島に普段行くことはないし、このような機会があって良かった。このままで終わりではもったいないので、またもっと目的をはっきりさせていってみたらいいかもしれない。(関口さん)

 

 六島は素敵な島であった。結局2泊3日の中で”探検”らしいことは何もしなかったけれども、行って良かったと思う。私たちが訪問するときのために何ヶ月も前から流しそうめんのための竹を森(?)からとってきてくれたという話を聞いたときは涙が出そうになった。あまりに健気すぎ。バスケ、バレー、バト、ソフト、テニス、サッカー(←これは見てただけ)とありとあらゆるスポーツをしまくった。もう年なのに.....。塚本さんや関口さんまでもが一緒にバレーをやってくれたのは内心とても嬉しかった。高井さんは亀だった。先生'sも会長さんも、副会長さんもゴリも、光輝も、まー坊もあすかちゃんもゆきちゃんもかおりちゃんもみんな素敵にいい人たちだった。店があれば永住したいほどであった。ヒデさんも素敵。
 帰り博多駅で駅寝をしてた時にピンダイのcigaratte caseがパクられた。それだけ。(門間さん)

 

 今回は合宿というより交流会だったが、結構ハードだった。子どもたちは元気いっぱいなので相手をするとすごい体力を使った。サザエが自分でとれたのはよかった。うまかった。朝はラジオ体操で起こされてバスケとか寝起きでやった。夜は先生たちと飲んだ。そしてシングルでカラオケもシタ。きもだめしはバカにしてたけどこわかった。一緒に行ったゆきみちゃんをおいて逃げかけた。(中村さん)

 

 六島は一言でいうとバカンスだった。何をしたという具体的なことは特にない。島民とのこうりゅうというよりは田中先生と数人の子供を中心とするごくわずかな交流であった。だが、今や50人程である小さなあの島はもうすぐ無人島になってしまうだろうから行って良かったと思う。ただでさえ「島」という閉鎖的な環境は哀愁を漂わせるが、やたら健全な生活をする子どもたち、ほのぼのとした島の老人たち、美しい自然、そして独身の田中先生は切なさを更に演出した。また、関口氏の踏みオルガンで奏でるモルダウはその雰囲気にたいへん大変マッチしていて心地よかった。だが、もう少し積極的に子どもたちと交流すべきであったと反省している。2泊3日だとうち解けるのに精一杯な日数であったのかもしれない。最後の見送られるシーンでは涙、涙かと思いきや、あまり見送り人口もなく、これだけ?という感じで「バイバーイ」と行った軽い別れでいささか拍子抜けだった。とにかく、全般に切なさの漂ういつもとは違う合宿だったと思う。(塚本さん)

 

 今年の夏合宿は六島で行われた。六島合宿の前に屋久島に行く人たちもいて、集合場所までは各々の交通手段で向かった。私は青春18キップで移動し、ムーンライトながのでは大学生3人グループと楽しい時を過ごし、さがけんの佐賀県の鳥栖駅で初一人駅寝をし、ちょっと怖い目にあった。そして、小値賀等のお食事処であったおじさんたちは、とても世話好きでいい人たちだった。
 そんなこんなで到着した六島には、何人かの島の方々が待っていて、中学生があまりに大人っぽかったため、自己紹介があるまでは、誰が先生で、誰が中学生か全くわからなかった。久しぶりに「学校の匂い」をかぎ、昼食には夢の流しそうめんをした。案内されて回った島は、青い海あり、美しい草原ありとすばらしかった。海でサザエをとりまくる六島っ子を、たくましくカッコいいと思った。
 2日目は、1日目と同様体育館で遊ぶ人たちと、釣りをする人たちに別れた。釣りを少しだけしたけど、岩にひっかけてばかりで全くだめだった。小山の魚はうまそうだったけど、中村の魚は外見が変にカラフルで、中の骨も青く、釣り人同様怪しかった。そして4時からは田中先生宅で宴が催された。おいしい料理、新鮮なお刺身を食べ、酒を飲み、カラオケをし、ビデオを見せられ(使役形)、それは10時間にも及んだ。先生のMAXや、まっこちゃん先生の疑惑などを見ていると、「先生も人だな。人だな...」と思った。
 3日目はお別れの日。みんな見送ってくれて、ゴリのお父さんも丘の上から手を振っていた。つかの間だったが、とても楽しい時を過ごした。3日間しかないから島のことはよくわからないけれども、六島の自然と、先生と生徒の関係など、環境がすばらしく、横浜の中学生よりもとても素直でノビノビしているな...と、最近人の私生活にまで興味を持ち始めた塾の生意気な生徒を見て思った。そして、夏はやっぱり南がいいな、と思った。(千葉さん)

 

 六島は人が住んでいる島だけあって、いたれりつくせりの生活を送らしてもらった。今回の合宿の目的は、計画書によると4つあるのだが、1爪の海刷りは釣りはサザエを餌にして釣るという贅沢なことをした。1時間程しかしていないが20cmのフナのような魚を釣った。2つ目は六島分校の生徒たちとの交流だ。子供達は本当に素直で元気でこどもとしてあるべき姿であるようだった。しかし私は社交的ではなく全然交流していなかった。3つ目は民族調査である。離島における独自の文化も何もWindows98の世界だった。4つ目の元寇・キリシタン等の歴史的背景を知る、なんてすっかり頭から離れていた。
 小値賀等の堤防から海を眺めていたとき、マグロサイズの鮫を見た。もしかしたら、今思い起こせば、これが一番興奮したことかもしれない。フナムシにソーセージをあげたら前足で抑えて食べるところをじっくり観察できたのだが、これは私のとってはとてもおもしろいことだった。普段は近づくと一斉に逃げてしまうフナムシだが、今回の観察によって少しだけその生態がわかった。前足を巧みに使って物を運べるということ。仲間同士でエサの取り合いをすること。死んだ仲間は生きてる者が運んで海に落とすということ。大きいフナムシの上に小さいフナムシが乗って移動することもあるということ。
 リゾート的合宿は好きだ。しかし、この夏、激しい運動もすることもなかったので、体力があり余った。秋には疲労困憊するような酷な合宿をする。釣りに関していえば、もっとじっくり一日中、岩場ではなく堤防から釣り糸を垂らしていたかった。(小山さん)